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コスタリカ

現地レポート2017[教育]熱血先生に聞いた子どものための教育

2017.2.9

私たちが滞在していたホテルに、日本の文部科学省に当たる公教育省から5人が説明に来てくれました。午前中に2時間、コスタリカの教育システムをうかがいました。対外担当のクリスティーさんを代表に、小学校や中学校の顧問、中学校の数学教師の方々です。
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小学生にも落第がある理由

コスタリカには4053の小学校があり、生徒数は40万1786人、先生は3万2368人います。農村部には先生が一人だけの学校もあり、それが1261校つまり小学校全体の31%を占めるというのですから、どんな僻遠の地にも、子どもがいれば通える学校を作ろうという意思を感じます。先住民の地区では先住民の言語や文化の授業もあります。中南米の多くの国では農村部や先住民の地区の教育はほとんど放っておかれていますが、コスタリカでは子どもが一人でもいれば学校を建てるという姿勢です。

小学校の前にプレ・スクールという就学前の教育が1~2年あります。これを含めて中学校までが義務教育です。無償だし、給食も無償です。ただ小学校でも落第があります。6%が落第するそうです。これを聞いた訪問団の皆さんから驚きの声が上がりました。

「なぜ落第があるのですか?」と質問したら、「日本では生徒全員が授業を完璧に理解するのですか?」と逆に聞かれました。授業がわかってなくても出席したら進級させる日本と、落第させてでも生徒にとことん理解させようとするコスタリカの違いですね。小学校卒業時にだれもが求められるレベルまで理解しているよう、がんばって追いつかせるのだそうです。

子どもが自分の人生を設計するためのプログラム

4年前から進めているのが創造性と革新をキーワードに、子ども自身が自分の人生を設計するプログラムです。生徒が幸せで満たされること、同級生と道徳的な価値観を共有し共存、信頼関係を築くこと、自然との間で持続可能な発展ができること、だれかの言葉をうのみにするのではなく批判的に考えて自分自身の考え方を抱くようになること、だそうです。

そのさいのコンセプトとして民主主義、人権、平和の三つを挙げました。民主主義では地域や国家の活動への参加、政治の透明性、国や地域独自の民主制度の尊重をうたい、人権では生徒の権利の保障、規範に従った人権の保護、家庭での権利と義務に基づく実践を、平和ではこの国に根を下ろした民主主義の価値としての自分と他人の自由、より調和のとれた関係を築くことに責任を負うこと、などを掲げています。すべてのカリキュラムにこれが含まれ、実践を通してこうした価値観を獲得してもらおうというのです。

外国籍の子どもには自国の文化を尊重する教育を

このあと移民の子の教育について言及されました。コスタリカ憲法19条は「外国人も教育、健康ではコスタリカ国民と同じ権利を持つ」と、憲法33条は「人間は国籍や人種、宗教にかかわらず誰しも平等である」と規定しています。

したがってコスタリカにいる外国籍の子どもたちもコスタリカの子と同じように無償で教育を受けられるのです。しかも子どもたちが育った国の文化を尊重します。たとえば隣国のニカラグアからの移民が多い地区ではニカラグアの文化を授業で教えます。
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ちなみに、この国の移民政策には驚かされます。コスタリカの人口はつい最近まで400万人でしたが、今は500万人を超えました。つまり100万人規模で移民を受け入れたのです。このあたり、たった一人の移民の受け入れにもためらう日本政府や難民で右傾化する欧州、さらにはメキシコとの間に壁を築こうとするトランプ大統領と発想が雲泥の差ですね。

とはいえ、コスタリカの教育が万事うまくいっているのではありません。なにせ経済的には貧しい農業国です。学校を建てる建設費が不足しており、午前と午後で生徒が別々に校舎を利用する二部制や三部制さえもあります。教科書をすべての生徒に配ることもできません。ニカラグアからの移民の子の中には学校に行ったことがない子もいます。

そのような中で先生たちはどのように工面しているのか、このあと貧しい地区の現場の先生を訪ね、その活動に感激しました。

難民コミュニティで働く熱血園長の実践

首都郊外の丘にスラムのようなラカルピオ地区があります。ニカラグアからの移民、いえ経済難民がやってきてゴミ捨て場の一帯に勝手に家を建てて住み着きました。ブロックを積み重ねトタン板を屋根とした小屋のような家が連なる一角に幼稚園があります。女性園長のコンスエロ・バルガスさんは自ら志願してここに着任しました。コスタリカきっての熱血先生です。
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この幼稚園には14人の先生と、4歳から5歳の364人の子どもがいます。ほとんどが隣のニカラグアから親に連れられてきた子たちです。父親は建築現場、母親はバーなどで働いています。シングルマザーの子が7割を占めます。この幼稚園の給食が一日で唯一の食事という子もいます。

ニカラグアから来た移民にはゴミ箱にゴミを捨てる習慣がありませんでした。幼稚園ではまず子どもたちにごみの捨て方から教えます。いきなりコスタリカの習慣を押し付けるのではなくニカラグアの文化も尊重し、ニカラグアの祝日も祝います。そうして徐々に人間的な生活に引き込むのです。

子どもの変化を見て親も変わり、夜間学校や職業訓練校に通う親が増えてきました。子どもの感情が安定すると親も育て方が暴力的でなくなります。家庭崩壊は子どもの健全化から回復するのだとバルガス先生は言います。

国籍がどうあろうとコスタリカに住む子どもには国が教育、給食、教材費を出すのがこの国のあり方です。この子どもたちの費用もコスタリカ市民の税金でまかなっています。足りない分はNGOから援助を受けています。

ただ勉強すればいいのではありません。コスタリカの教育が目指すのは、子どもたちが自分を確立し今後の人生を見据えることをバックアップすることです。子どもたちに目標を見つけさせ、自分自身が幸せになることを夢見るように教えています。

平和教育とは共に生きる教育

バルガス先生がここで進めているのが「共に生きる教育」です。自分との平和、他人との平和、自然との平和の三つを掲げ、持続可能な発展を目指します。実践を通して仲間と共に生きる価値観を構築し、もめごとを平和裏に解決する方法を学びます。

平和教育について、バルガス先生はこう語ります。

平和とはただ戦争がないだけを指すのではありません。周りの人々と力を合わせ平等で健康な環境のもとで共に生きていくことが平和です。コスタリカの学校では、まず自分自身の平和をどう築くかを学びます。何か葛藤を持っていても、それをポジティブに使えるようにします。自分が平和でないと他人に平和を与えられません。まず自分を平和にするのです。次に、他人を平和にするには相手の権利を尊重することが必要です。自分の存在が周りにメリットがあるようにするのが平和の基礎です。人はだれも自分たちが住んでいる世界に対する責任があります。自分だけでなくすべての人々に善をもたらすことが必要です。

たとえば気候変動です。私たちの行動の結果が気候に影響します。それが自分に跳ね返ってきます。私たちは一人ではなく、つながりあって生きているのです。すべての生き物と調和し自分の責任を感じながら守るべきことは守らなければなりません。共生する地域が広がれば、より大きな未来を創ることができます。子どもがよくなることで次世代、未来がよくなります。


ここまで聞いて、僕は質問しました。今はヨーロッパの難民制限やメキシコ国境に壁を作ろうというトランプ米政権など世界が移民を制限しようとしているのに、なぜコスタリカはあえて大量の移民を受け入れるのでしょうか?

バルガスさんは言います。

国境を閉じ移民を閉め出すのが正しい解決策ではありません。人間には住みたいところに住む自由があるべきです。コスタリカは大きな負担を払いながら、それを保証しています。そこでお互いが平和に暮らすには、移民した人もただ困っているからカネをくれという姿勢ではダメです。社会のお荷物になってはいけない。相手の社会の法律を尊重することが必要です。お互いが相手の文化を尊重することです。


トランプに聞かせてやりたい!

「平和は銃で得られるものではない」

旅の最後の夕食会で話してくれた平和活動家のマリオ・グランさん(写真右)は、しきりに「平和には社会正義が必要だ」と強調しました。「平和は銃で得られるものではない。過去を許すことはあっても忘れてはいけない」とも。
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これが平和学で言う積極的平和です。平和とは、ただ戦争がない状態を言うのではありません。差別や格差、いじめなど紛争につながる社会の悪を対話によってなくし、正義が実現された社会を創ることです。過去の教訓から学び、過ちを繰り返さないことです。コスタリカは中学2年の公民の教科書でそう教えています。その対極にあるのが、気にくわない相手は武力で黙らせようとする安倍首相の積極的平和主義です。言葉は似ていますが、内容は全く違います。

教育がめざす3つの共生――自分との共生、他者との共生、自然との共生平

バルガス先生も、平和教育について同じことを指摘しました。先生が挙げた平和教育のキーワードは共生です。その内容が新鮮でした。最初に挙げたのが自分との共生、つまり自分が安心して生きることです。平和の出発点は自分という個人の平穏な生活だと言うのです。

平和を語る際に日本ではまず国家を考えがちです。国が平和であるためには国民の少々の犠牲は当然だという考えがそこから生まれます。一方、コスタリカの平和の発想の原点は個人です。まず一人ひとりの国民が平和に暮らしていると感じられてこそ、社会も国も世界も平和であるというのです。大きな違いです。

小学校で落第があることを知って参加者から驚きの声が出ましたが、落第は本人が知識をきちんと持って自分で考え自分で行動できる人間となることを支援するためです。落第した子は先生方がしっかり面倒を見て卒業時にほかの子と同じレベルまで引き上げます。

落第した本人にとってはその時点ではつらいでしょうが、小学校の基礎ができていなければ中学、高校その後の人生はさらに悲惨になるでしょう。授業に出てさえいれば理解してなくても卒業させる日本の方がおかしいのではないでしょうか? どうも日本の教育は形だけ民主的のように思えます。

また、日本の平和教育は戦時下や原爆の悲惨さを訴えることが中心になっています。日本人も被害者だという意識が先に立ち、加害の事実についてはまったく知らされません。これではアジアの人々との和解は無理でしょう。さらに、時がたって戦中派がいなくなれば、過去の事実は忘れられていきます。これに対してコスタリカの平和教育は現在の問題としてとらえるので、いつの時代になっても通用します。

次に他人との共生ですが、バルガス先生の幼稚園だけでなくコスタリカは国の政策として、すべての移民や難民を受け入れています。米国が国境に壁を築き、欧州では難民を制限しようとする時代に、人口400万人だったコスタリカは100万人規模の経済難民を受け入れました。これはすごいことだと思います。しかも3年滞在すると国籍まで与えています。

移民の多くはコスタリカと領土問題などで対立する隣国のニカラグアからです。いわば日本が中国人の移民を4000万人規模で受け入れるようなものです。コスタリカの寛容な姿勢は驚くばかりです。世界から尊敬されるのは当然でしょう。

最後に自然との共生ですが、エコツアー発祥の国であり国土の4分の1を国立公園ないし自然保護区に指定したコスタリカの真骨頂です。国立公園に行く途中に、国内唯一のトンネルを通りました。この国は自然破壊をしないためトンネルを作らない方針なのです。ここにトンネルを作ったのは、普通の道にすれば国立公園を分断することになるからです。動物たちが行き来できるように、人間がトンネルで地下を通るようにしたのです。

トルトゥゲロ国立公園でウミガメを保護しているNGOの活動を聞きました。代表はスペイン人でベネズエラ人の女性活動家もいました。国境を超えて自然保護にかかわっています。ガイドしてくれた原田信也君も日本で環境保護のNGOをしたあとコスタリカの環境保護団体に加わりました。世界中の自然保護活動家がこの国に魅かれて集まり自然を保護しているのです。国籍や文化が違っても共に活動できる寛容性がこの国にはあります。

もちろんコスタリカにも問題はあるが

素晴らしいコスタリカですが、もちろん天国ではありません。まず経済で難があります。主な産業はパイナップル、バナナ、コーヒーなど農業ですから、理想を実現しようにも先立つ資金が乏しいです。学校が足りず、子どもたちは小さい校舎を2部、3部制で使い分けながら授業を受けています。教科書代も高く、貧しい家の子は買えません。でも、そこは工夫でしのいでいます。先生が独自にプリントをつくって授業を進めます。日本のように検定教科書に従った授業ではなく、教師の裁量に任せられる部分がとても多いし、また教師もそうした努力をしているのです。

政治家の腐敗もあります。過去に汚職で訴追された元大統領が来年の選挙で返り咲きを狙っています。経済がうまくいかないため、少しくらい汚くてもカネもうけのうまい政治家に任せたいという、背に腹は代えられないと言いたげな国民の声があります。

犯罪が増えたのも悩みです。南米から米国に麻薬のコカインを運ぶマフィアが、途中経路のコスタリカに入り、仕事にありつけない移民が犯罪組織のメンバーとなっています。それでも移民を追い出せという世論にはならないのがすごいと思います。犯罪への対応のため、かつて警棒しか持っていなかった警官が今やピストルはもちろん自動小銃まで持つようになりました。麻薬組織は軍隊規模の武器を持つため国境警備隊が太刀打ちできず、武装を強化せよという主張も見られます。しかし、再軍備という話にはならないところが、これまたすごい。過去の積み重ねの成果でしょう。

こうしたマイナス面を知っても、なおプラス面の方が圧倒していることを感じたのが今回の旅でした。
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