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コスタリカ

[6]環境保護の先進国

2015.11.6

コスタリカは環境保護でも世界の先進国です。

「エコツアー発祥の地」と言われ、海外から毎年200万人を超すエコツーリズムの客がやって来ます。北海道とほぼ同じくらいの狭い国土に、地球上の全生物種の6%に当たる50万種以上の生物がすむのです。中でも蝶類は10%で、アフリカ大陸にすむ蝶の種類を合わせた数よりも多いというから驚きです。映画「ジュラシックパーク」のモデルはコスタリカですよ。

環境への取り組みは早く、1969年に森林伐採認可の規制と森林局の創設を定めた最初の森林関連法を制定しました。94年には環境エネルギー省が創設されました(日本の環境省は2001年です)。この年には憲法を改正して環境権を取り入れました。憲法第50条の「福祉、生産と富の最適な配分の権利」に加えて「すべて国民は健康で生態的に均衡のとれた環境に対する権利を持つ」と明記したのです。

宿泊したロッジのおじいさんは元大統領

エコツーリズムを僕が体験したのは2003年でした。雲と霧に包まれた森に入って1時間。ようやくエコロッジに着きました。滝のようなスコールの中を両手に荷物を持って走り出すと、ロッジに立っていた白髪のおじいさんが雨の中を走って来て、僕の荷物を一つ持っていっしょに走ってくれました。チェックインした部屋は100メートル離れた山小屋です。傍らにいた白髪のおばあさんが私に傘をさしかけ付き添ってくれました。

翌朝、雨が上がったので散歩しました。ロッジの前を若者が竹箒で掃除していました。彼と話してわかったのは、前夜、雨の中で私の荷物を持ってくれたおじいさんが元大統領で、傘をさしかけてくれたのが元大統領夫人ということです。唖然としてロッジを見ると、白髪のおじいさん、いえ元大統領が早朝からフロントに立っていました。

ロドリゴ・カラソ氏。コスタリカの第38代大統領で、国連に提案して国連平和大学を建設した人です。今はこのエコロッジの経営者だというのです。

「なぜ元大統領がホテルを経営しているのですか」と素朴な質問をしました。そのとき彼が語った言葉は、政治家に対する僕の価値観を一変しました。

「大統領の任期を終えたあと、国会議員など政治家を続けることもできたけれど、老人が居座れば若手が育ちません。政治家を辞め、これからは一市民として社会の発展のために尽くそうと思いました」

「当時のコスタリカはすでに平和国家への道も、教育国家への道もできていました。足りないのは環境国家への道だと思いました。地球環境を考えるのも大切ですが、一番大事なのは一人一人の人間が自分と環境とのかかわりを認識することです。そのためにエコツアーを始めようと考え、それまでに貯めた財産でエコロッジを建てました」

大統領まで務めた大物がスパッと政治家を辞め、個人の資産を投げ打って社会のために尽くしたのです。権力とカネにしがみつく日本の政治家に聞かせてやりたいではありませんか。ま、聞かせても無駄だろうけど。

木材の輸出をやめて「空気を輸出」する政策に転換

目の前には深い森があります。それを見て僕は、1990年ころの東南アジアの熱帯雨林の伐採問題を思い出しました。当時、フィリピンやボルネオの密林に入って先住民たちから取材したことがあるからです。「コスタリカでは熱帯林を伐採しなかったのですか」と問いました。

カラソ氏は「いや、わが国でももちろん、樹をきりました」と言います。伐採して売れば、手っ取り早い現金収入になるからです。その結果、1940年代には国土の75%以上が手つかずの森林だったのが、80年代には30%にまで減りました。「これではいけないと国会で論議し、その年から木を切るのをやめて、逆に植林に乗り出しました。それまでわが国はよその国に木材を輸出していましたが、その年からは空気を輸出するようになりました」とカラソ氏は笑いました。

植林した樹が酸素を放出し、風に乗って他国に流れます。この国は平和を輸出していると先に書きましたが、空気も輸出しているのです。平和も空気もコスタリカにとってカネにはなりません。でも、他国の人を喜ばせます。人間でも国家でも、自分がもうかることよりも他人のために尽くしていれば尊敬されるでしょう。

コスタリカでは30年後を見据えて政治をしている、と彼はいいました。日本の政治家はせいぜい30日でしょうか。

翌日、ホテルの若者の案内で森を歩きました。道沿いで見かけたカエルの子育てや昆虫の生態、草木について詳しく説明してくれます。草も木も虫も人間も、等しく地球上の生命体だという気持ちになりました。ツアーの最後には植樹しました。20センチほどの苗木には僕の名を書いた札が付けられました。次に来たときは、大きく育っているだろうな。死んだら、ここに葬ってほしいなあ、とも思いました。

カラソ氏は2009年に亡くなりました。植林の結果、今やコスタリカの森林面積は50%以上に回復しました。

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