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ジャーナリズム

望月衣塑子さんの記者魂

2017.6.17

菅官房長官を記者会見の質問でタジタジとさせた東京新聞の記者、望月衣塑子(もちづき・いそこ)さんの講演会「武器輸出と日本企業」が昨夜あり、行ってみました。正直言って講演の中身よりも「望月さんってどんな人だろう」という素朴な興味から、立川市まで足を運んだのです。

彼女が登壇すると、「顔が見えません」という声が飛びました。彼女は演台の位置を前の方にずらしました。聴衆は満員の200人。みんな話を「聴き」にきたというより、彼女を「見に」来ていたのでした。

第一印象は「知的美人」そして「ものおじしない人」です。きっぱりとした口調かつ機関銃のようなスピード、そして学会の発表のような綿密さで1時間20分、武器産業の現状を語りました。専門的な話だし、みんな圧倒されシンとして聞いています。

その後の質問の時間も、武器輸出の質問がいくつか主催者から出されましたが、そんなことよりも会場のみんなが知りたいのは別です。終わり近くになって主催者が申し訳なさそうに「今日のテーマとは違いますが」と言いながら、菅長官への記者会見の件を持ち出すと、会場がにわかに色めき立ちました。こちらこそ聞きたかったのです。

何が望月衣塑子をそうさせた?

まず経歴が出ました。望月さんは慶応大学の法学部を出て東京新聞に入社しました。千葉、神奈川、埼玉各県の県警を担当し、その後は社会部で東京地検特捜部や司法を受け持ちました。ほとんど事件記者一本できた、今どき珍しい生粋の社会部記者です。1975年生まれの42歳。記者として最もあぶらが乗った時期です。

武器輸出の取材にかかわるきっかけは「子どもを産んだあと保育園の迎えなどで『夜討ち朝駆け』ができなくなった。何かテーマをもって取材すればいいのではと上司から言われ、この問題を選んだ」と言います。上司も立派ですね。

菅長官の記者会見について「加計問題で取材した前川喜平さんやレイプ告発をした伊藤詩織さんの思いを直接ぶつけたかった」と言います。官房長官の会見に出席するのはふつう政治部の担当記者で、社会部の記者が出席するのはきわめて稀です。彼女は自分から志願してこの会見に出るようにし、「怖かった」けれど、あえて前の席に座ったそうです。

望月さんは「自分では別にしつこいと思ってなかったけど、あとで(記録を)見るとかなりしつこいですね」と言って会場を笑わせました。そう。相手を質問で追及するのは彼女にとっては当たり前のことで、いつもやっていることなのです。

望月さんは加えて「自分だけの思いだけだったら、あそこまでしつこく食い下がれなかった」と話しました。加計問題で政府が切り捨てようとした前川さんや、あえてレイプ被害を訴え出た詩織さんを自ら取材したことが、食い下がりのエネルギー源になったのです。

社会部の記者と政治部の記者の違い

ここまでを解説しましょう。実は社会部の記者は政治部の記者とは違ってふだん、基本的にあのような矢継ぎ早の質問を会見でしています。新たに起きた事件などについて知るためには、記者自身が納得するまでとことん聞かなければ取材になりません。実際、僕自身も社会部時代にそのようにしました。

また、被害者や当事者に接すると「この問題を解明せずにはいられない」という義憤のようなものが生まれます。そのあとで会見に臨むと、自分の思いだけで質問するというよりも、こうした人々の思いを背負って、かれらの代わりに、また解明を求める世論に成り代わって発言するという気もちが前面に出てきます。そのとき、自分でも驚くほどの力が沸きます。

とはいえ、それを畑違いの政治部の記者会見の場で実行するのは大変なことです。場が違うのだから、いつもの政治部の会見にならって少し遠慮しようという気持ちが沸きがちです。しかも目の前にいるのは権力者です。望月さん自身が「怖かった」と語るように、あまり厳しく追求するのはまずいんじゃないかと及び腰になるものです。それをはねのけて望月さんは見事に記者魂を貫きました。実に果敢な行為です。なかなかできるものではありません。サラリーマンと化した記者や御用記者にはとうていできないことです。

こうした、ろくに質問もしなかった他の記者についてどう思うか。講演会の主催者は、それを質問しました。望月さんは声高に批判するでもなく、「みんなが聞くべきことをきちんと質問するようになったら、記者会見も変わっていくのではないでしょうか」と淡々と語りました。謙虚かつ深慮の人ですね。

また、望月さんは日本の報道界に触れ、1972年に佐藤栄作首相が退任の記者会見で「偏向している新聞は嫌いだ」 と言ったさい、その場にいた記者たち全員が自らさっさと会見場を出ていった過去について語りました。けっして日本の記者が昔からひ弱ではないのです。

時間切れが残念でした。会場からは「がんばって」「応援しています」など数々の声援、そして大きな拍手が沸き、しばらく鳴りやみませんでした。

では、なぜ望月さんと違って、他の記者はひどいのでしょうか。望月さんの行動はどんな影響を日本の報道界に与えるのでしょうか。それについて解説しましょう。

なぜ政治家とマスコミは癒着するのか?

政府の記者会見の映像をテレビで見てやきもきする人は多いと思います。記者がメモするだけで質問しない。質問しても国民の立場や視点に立っていない。政府側の言うことをそのまま垂れ流すだけじゃないか……など。政治部や経済部では、とかくそうなりがちです。政治家とマスコミが癒着しているように見えます。では、なぜ、そうなるのでしょうか。

悪の根源は、世界にも希な日本の記者クラブ制度にあります。政府や役所の中に記者クラブという組織があり、そこに主要な新聞・テレビの担当記者が常駐しています。役所側にとっては、この部屋に行って発表すれば各社が報道してくれます。マスコミ側にとってみれば、ここに担当者を置いていれば苦労せずともニュースは向こうから跳び込んできます。つまりお互いに便利なのです。両者の利害が一致していれば。

しかし、政治の世界では往々にして政治家は事実を隠そうとし、記者は事実を知ろうとします。利害は相反します。本来のジャーナリズムなら、記者は政治家を問い詰めるのが当たり前です。しかし、今の日本ではどうでしょうか。

政治家が嫌がる質問をすれば、政治家は質問をした記者にあとで嫌がらせをします。その記者を出入り禁止にしたり取材を拒否したりするのです。そうなると取材できなくなります。他の新聞には記事が出るのに、自分はその情報を知らない。すると社内で無能呼ばわりされます。このため記者は権力者にとって都合の悪い質問はしなくなります。それが慣例化しました。

本来ならすべての記者が一斉に権力者を問い詰めればいいのですが、今やあからさまに政権にすりよる御用マスコミの記者たちが政治家の側につくので、記者側の団結ができないのです。今回も、望月さんの行動に対して他社の記者たちは東京新聞の政治部の記者に苦情を言ったということです。こんなやつらが日本のジャーナリズムを腐らせているのです。

よみがえれ、日本のジャーナリズム

こうしたひどい環境ですが、それでも、骨のある記者は望月さんだけではありません。今、朝日新聞で評判の高いコラムを執筆している政治部の高橋純子記者は、かつて森喜朗首相の担当でした。あまりに森首相を厳しく問い詰めるので取材を拒否されました。このときは朝日新聞の政治部の記者が総がかりで応援して取材したデータを彼女に渡しました。社内での連係プレーがあったから生き残れたのです。そういえば望月さんと高橋さんは、感じがよく似てますね。二人とも見るからに凛としています。

海外では大統領の会見でさえ当たり前のように記者が厳しく問い詰めます。トランプ大統領に食い下がったCNNの記者が話題になりましたが、あれは海外の記者会見ではごく普通に見られる光景です。僕も特派員で海外に出たとき、大統領や権力者を前にして対等の立場で問い詰める記者たちの姿を見て、これが世界のジャーナリズムの常識なのだと知りました。日本の今の報道界があまりに権力べったりで世界の非常識なのです。見せかけだけの報道である亜報道、いえ阿呆道です。

本当は記者クラブの制度を変えるのが一番です。でも、今の制度でも役人を追い詰めることができることを白日の下に知らしめた点で、望月記者の功績は大きい。望月さんの行動を見て発奮した現役の記者は多いでしょう。これでジャーナリズムを目指そうと考えた学生もいるでしょう。望月さんが果たした役割は本人が思っているより大きいのではないでしょうか。

これが日本のジャーナリズムを「闘うジャーナリズム」に変えるきっかけにもなってほしいと僕は思います。最後に、望月衣塑子記者にもう一度、心からの拍手を送ります。

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