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個人的な話

二人の女子高生――天文学志望と事務職志望

2017.8.7

昨日の日曜は兵庫県明石市で行われた「ピースフェスタ明石」で講演をしました。

講演後に僕に話しかけて来られた女性がいます。同年で、同じ下関市の出身でした。開口一番、「お母さんはお元気ですか?」と聞かれるのです。僕の母は山口県立下関南高校で数学の教師をしていました。この方は母の教え子でした。母は3年前に亡くなったと告げると、惜しみながら母の思い出を話してくれました。授業の中で、母は生徒たちにこう話したそうです。

私は高校時代、京都大学に入って京都の花山天文台で天文学を学びたかった。でも当時、女性にそれは許されなかった。今の時代、あなたがたは何でもできる。好きなことをやりなさい。


母のこの言葉が、彼女の励みになったそうです。

驚きました。母が天文学者を夢見ていたなど、僕はまったく知らなかったことです。初めて聞きました。

昨年、母の別の教え子から母の話を聞きました。家が貧しく旅費が出せなくてクラスでただ一人修学旅行に行けなかったとき、僕の母がひそかに旅費を出してくれた。そのためにみんなといっしょに旅行に行くことができたと感謝していました。

母が亡くなって、初めて僕は母を知り始めたような気がします。

明石の会場には地元の有名県立高校の新聞部の生徒たちがいました。講演が終わったあと彼らからインタビューを受けました。部長は女子の2年生で、はきはきと明るく見るからに聡明そうな顔立ちです。質問に答えたあと、将来何になりたいのかと聞くと、驚いた答えが返ってきました。「事務職に就きたい」というのです。

不思議に思いました。将来なりたい職業に事務職を選ぶなんて夢が小さすぎると思ったからです。つい先ほど母が天文学を志していたと聞いたこともあって、なおさらその思いを強くしました。彼女に「なぜ?」と聞くと「会計をやりたい。数字がピタリと合ったときの達成感が好き」と言うのです。ああ、この子は堅実で、小さなステップを一つずつクリアしていくタイプなんだと納得しました。

その夜、この子の言葉を思い出しながら考えました。

私たちはつい、夢は大きなものでなくてはならないと思いがちです。夢が小さいと人間までも小さいと思ってしまいます。最初に大きな目標を設定し、それに近づくよう努力するのが我々の時代のあるべき人生哲学でした。それを今の若者にも強いてしまいがちです。しかし、この子のように目の前の問題を楽しみながら次々に克服していけば、いつかは自分でも想像しなかった器量となり、思いがけない高みに達するかもしれません。

大学時代に僕は合気道部にいました。山奥の合宿の朝、山寺の急で長い石段を走らされたことがあります。まず頂上を見上げて、あそこまで行かなければならないと思うと大変だという意識が生まれ、途中でへばったものです。でも、合宿3日目になると心身ともに疲れ、頂上を見る元気もなくなります。目の前にある一段一段を登ることだけを考えていたら、軽々と足が運んであっという間に頂上に達していました。

思えば、この女の子は、最初からこのようなタイプなのでしょう。まあ、トランプ大統領のように大言壮語して他人を蹴落とし自分だけが這い上がるよりも、はるかに人間的です。今の時代に合っているのかもしれません。

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