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個人的な話

知らなかった母の姿に触れる

2014.10.31

母の四十九日と納骨のため、山口県の実家に帰っています。納骨の前にどうしてもしたかったことがありました。母がどんな人だったのか、をきちんと知ることです。亡くなったさい、僕を生み育ててくれた母のことを僕はどれだけ知っているのか、と考えて愕然とした思いが底にあります。

今回、実家に4日間滞在し、この間、母の遺品や写真、日記、詩や和歌を書きつけたノート、友人や教え子からの手紙などに目を通しました。2つの文箱に小学生時代の通知表や賞状、校章、学生時代の写真、教師時代に使った笛、新聞に投稿した記事、そして何か意味があるのでしょう、口紅が1つ。写真のアルバムは10冊以上あるうえ、大きな段ボール1つに未整理の写真が山盛りに詰まっていました。

資料をパソコンに打ち込んで人生の年表を作ると7ページに及び、それだけで2日かかりました。

戦前の奈良女子高等師範学校4年のときにつくった詩が書かれていました。

私は冬の海が好きだ 何故なら 冬の海は人間の真の姿を表現してくれるから 冬の海は私をなぐさめてくれるから

数学の教師となった下関市の高校の新聞に、こんな「先生紹介」が載っていました。

常に微笑をたたえた優しい先生である。若き日には情に激して積み重ねたレコードを叩き割ったり校長と衝突して辞表を叩きつけたこともある。しっとりとした柔らかさと勝気な負けず嫌いの複合した性格というべきか。


死去に当たって、教え子から手紙がたくさん届いていました。大阪で教師になった方が「建国記念日を制定する法案が国会で取り上げられたとき、制定反対のワッペンをつけて、戦争のことを熱くお話してくださいました。教職に就いてから、あらためて勇気と意志のあることだったのだと思い、励まされました」と書いておられました。僕自身はまったく知らないことです。戦時中に苦労したことや「戦争はもうこりごり」とは聞いていましたが、母が政治について職場で意識的に行動していたことは初めて知りました。

年表のほかに、このために用意した手帳に大切だと思われることを書きつけました。これからじっくりと読みながら、あらためて母の実像に迫ってみたいと思います。これまで感性と体験で知っていた母が客観視されるのでしょう。それは一方で哀しくもありますが、僕にとっては必要な仕事だと思うのです。

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