Song Stories

日本

六甲の山並みから生まれた「青い山脈」

もう15年も前になる。米国ロサンゼルスの日系ホテルのロビーで机に向かっている女性の顔に、どこか見覚えがある。そうだ、映画「青い山脈」で「行動する知的女性」を演じた杉葉子さんだ。気づいたとたんに脳を歌がよぎった。〽若く明るい歌声に…。

それにしても、なぜアメリカにいるのか聞いた。日本で数々の映画に出演したあとは米国人と結婚した。1977年に離婚してからは、このホテルの渉外担当をしているのだという。

2003年、彼女の退職を記念するパーティーが開かれた。映画で共演した池部良さんが「前進あるのみという聡明さが、あなたにはあった」と祝辞を寄せた。参加したのはロス在住の日本人だ。年配者が若者のように体を弾ませながら「青い山脈」を歌った。

この映画が作られることになったのは戦後間もない昭和23年だ。主題歌を入れることになり、西条八十の詞に服部良一が曲をつけることになった。服部は著書『ぼくの音楽人生』でこう書いている。

大阪から省線(今のJR)に乗って京都の大映撮影所に向かう途中、日本晴れの彼方にくっきりと稜線を描く六甲山脈の連峰が見えた。眺めているうちに、にわかに曲想が沸いた。

食糧難の時代のため車内は買い出しの人たちですし詰め状態だ。五線紙をカバンから取り出せない。5分もすればせっかく頭に浮かんだメロディーは忘れてしまう。急いでポケットから手帳を出した。

鉛筆で書きつけたのは4桁や5桁の数字だ。6032 3343 64322……。流れ出る旋律を口でむにゃむにゃつぶやきながら、ハーモニカの略符で書きとめた。周囲の人がニヤニヤした。ヤミ屋が商売の計算をしていると思ったらしい。京都駅に着くまでに最後の一節も書き終えた。

こうして完成したが今井正監督がウンと言わない。監督はシャンソンあるいは寮歌のようなメロディーを期待していたという。歌を吹き込む日にも監督は姿を見せなかった。プロデューサーの権限で録音し杉葉子、池部良さんらが自転車で走るシーンに主題歌を入れた。

映画は受難が続いた。東宝の労働争議に占領軍が介入し「来なかったのは軍艦だけ」と言われる。封切りのメドさえ立たない。映画に先立ち、藤山一郎と奈良光枝のコンビでレコードが発売された。物言えぬ時代から声を張り上げる時代へ。たちまち人々に愛唱された。

この歌は民主主義と明るい未来と青春を見事に表現した。日本人がトイレで一番よく口ずさむ歌だとも。「複雑な気持ちがした」と服部は記している。


青い山脈 藤山一郎・奈良光枝
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