Song Stories

アルゼンチン

望郷と追憶のタンゴの名曲「カミニート」

赤や青、黄色など鮮やかなペンキに塗られた板壁の家が並ぶ。南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの港の一角にあるボカ地区。船を塗装したあとの余ったペンキを壁に使ったので、華やかな色合いになった。

ブエノスアイレスはスペイン語で「良い風」を意味し、帆船にとっての順風を指す。風の力で船を操った大航海時代、それは最善の自然エネルギーだった。ボカとは口のことだ。港口にあるので、こう呼ばれる。

積荷とともに音楽も船で伝わり、このボカ地区で生まれたのがタンゴだ。キューバのハバネラの調べに、ヨーロッパの踊りが混ざったと言われる。小刻みで物憂げなバンドネオン(手風琴)の音色に乗って、男女がピッタリと体を寄せて踊る。

「タンゴは歌う情感であり、踊る哀感である」と詩人は言う。文豪ボルヘスは「きらめき、魔性」と称した。セクシーかつキザで官能的な踊りを見ていると、確かにそう思う。

ボカ地区の小路で着想を得て生まれたタンゴの名曲が『カミニート』(Caminito;小道)だ。

「あの人が去ってから、私は悲しく生きている。毎夕、愛を歌いながら幸せに歩いた小道よ。あの人がもう一度通っても、言わないでおくれ。私の涙がお前の上にこぼれたことを」

夜、繁華街のタンゴ喫茶に入ると、私のテーブルのそばに来た男性歌手がこれを歌った。日本人が好きな歌として知られているのだ。

周囲の客は一杯のコーヒーを二時間も粘ってすすりながら、歌声に耳を傾ける。外では貧しい人々が黒山の人だかりとなって、ガラス窓に耳を摺り寄せる。最前列にいたのは白髪のホームレスだった。ドタ靴で拍子をとり、息で曇ったガラスを垢だらけの指でこすり、泣きそうな顔で聴き入っていた。

タンゴの多くは相手にふられた恋の哀感や、古き良き時代への郷愁を歌う。ホームレスの彼は、若き日の華やかな恋、あるいは家族との楽しい生活を思い出したのだろうか。

私が訪れた1980年代、この国そのものが、郷愁に浸っていた。アルゼンチンはかつて、世界の先進国だった。地下鉄が開通したのは日本より早い。しかし、いま地下を走るのは私が見慣れた赤い車両だ。新しい車両を自前で開発することができず、東京の丸ノ内線のお古を買っているのだ。

だが、米国に反旗を翻し反米大陸となった今の南米で、この国も女性大統領が先頭に立って反米の旗を振る。隣のブラジルとともに南米連合を組み、経済の躍進を目指す。

もしかして、やがて郷愁に浸るのは、日本の方かもしれない。




菅原洋一
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