Song Stories

アメリカ&日本

敵と味方が共に歌った「埴生の宿」

戦時中のビルマ戦線といえば戦闘の悲惨さで名高い。でも、竹山道雄の小説『ビルマの竪琴』を読むと、国籍を越えた人間性を感じてうれしくなる。日本軍の部隊が突撃を前に「埴生の宿」を歌うと、敵が英語で同じメロディーの歌を歌う。双方の兵士は肩を組んで合唱し、戦うことをやめるという内容だ。

この歌の元歌は「懐かしき我が家」という意味を込めた米国の歌「ホーム・スイート・ホーム」だ。劇作家のジョン・ハワード・ペインがヨーロッパに渡ったさいに書いた詞に、英国のビショップが作曲した。

そこに「粗末な家でも、我が家ほど魅力的な場所はほかにはない」という意味の歌詞がある。明治時代になって文部省がこれを唱歌に取り入れたとき、訳した人が「粗末な家」を「埴生の宿」と表現した。埴輪に使われる赤土を壁にした小屋のような貧しい家という意味だ。

当時の日本の観念では、貧しい家と聞いてそんな姿を思い浮かべたのだろう。いささかいじましい。

アメリカに行って歌のモデルとなった家を見ると、その立派さに驚いた。ニューヨークの東に細長く突き出たロングアイランド島にある町イーストハンプトン。この海沿いののどかな田舎町がペインの故郷だ。

芝生に囲まれて建築から3百年たつ板葺きの3階建ての古民家がある。そばには小麦粉をひくために使われた巨大な風車小屋がそびえる。今は「ホーム・スイート・ホーム記念館」となったこの家がペインの「我が家」だ。小屋どころか豪邸である。

入り口にはブドウ棚。暖炉のある居間は広々とし、壁には肖像画、天井まで届くのっぽの古時計、棚には色とりどりの年代物の食器が並ぶ。

館長のキング氏にペインのことを聞いた。才能豊かな芸術家だったが、欧州に渡って失恋の末にホームシックになったという。恋愛の相手は「フランケンシュタイン」の作者である女性小説家で、見事にふられた。

それにしても、歌がきっかけで敵味方が手を取り合うなんて小説の世界だけの話だ……と思っていたが、ペイン館長はそれが米国で実際にあったことを教えてくれた。

1862年、南北戦争さなかの米国で、南北両軍が川をはさんでにらみあっていた。双方の軍楽隊は味方の士気を高めようと、けたたましく音楽を鳴らした。それが応援合戦のようになった。ところが、北軍が「ホーム・スイート・ホーム」を演奏すると、南軍も呼応して同じ曲を演奏した。両軍の兵士は熱狂し、やがて休戦協定が成立したという。

歌には力がある。戦争を鼓舞する力も、戦争をやめさせる力も。


埴生の宿
原曲作詞:ジョン・ハワード・ペイン
原曲作曲:ヘンリー・ローリー・ビショップ
訳詩:里見義

埴生(はにゅう)の宿も 我が宿 玉の装い 羨(うらや)まじ
のどかなりや 春の空 花はあるじ 鳥は友
おお我が宿よ たのしとも たのもしや

書(ふみ)読む窓も 我が窓 瑠璃(るり)の床も 羨まじ
清らなりや 秋の夜半(よは/よわ) 月はあるじ 虫は友
おゝ 我が窓よ たのしとも たのもしや

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