Song Stories

オーストリア

世界に歌い継がれる「きよしこの夜」

年末の地球に響き渡る代表的な歌といえば、心を洗われるこの讃美歌だ。作られたきっかけは、飢えたネズミだった。

モーツァルトの生地オーストリアのザルツブルクの近くに、オーベルンドルフという町がある。ここにあった聖ニコラ教会で1818年クリスマスイブの朝、助任司祭のモールとオルガン弾きのグルーバーは愕然とした。パイプオルガンの音が出ない。空気を送るふいごがネズミにかじられたためだ。差し迫った夜のミサの伴奏をどうしたらいいだろう。

モールは自作の詞を取り出し、これに曲をつけてギターの伴奏で歌おうじゃないか、と提案した。わずか数時間でグルーバーが作曲したのが、この歌だ。ミサではモールがテナーで、グルーバーがギターを弾きながらバスで歌った。

信者たちの評判は芳しくなかった。だって、ミサといえばオルガンの音色が通り相場だ。軽やかなギターの伴奏では厳かな聖夜の雰囲気に浸れない。だから歌もそれっきり、忘れられた。

しかし、歌ってみるといいじゃないか、と思った人たちによって、ひそかに歌い継がれた。いつの間にか作者不詳のチロル民謡と言われて広まった。作曲者はハイドンの弟ではないか、などうわさされた。

実際の作者が判明したのは36年後、グルーバーの息子が公表してからだ。グルーバーは音楽家として名を上げ、生涯に約90の曲を作曲したが、今も知られているのはこのメロディーだけだ。

モールは悲惨だった。教会の上司からいじめられてなかなか司祭になれず、あちこちの教会を転々としたあげく無名で極貧のまま亡くなった。まあ、ギターで讃美歌を歌おうと考えるくらいだから、当時の厳格な教会の風には合わなかったのだろう。

死んだときに遺されたのは、つぎだらけの衣服と祈祷書だけだった。ほかには何も残さなかった……いや、一つ、重要な物を残した。魂を込めたこの歌は、今も世界中の人々によって歌われる。この世における彼の確かな存在を証明するかのように。

聖ニコラ教会はその後、水害で壊れた。元あった場所が名高い歌の誕生の地であることを記念して1937年、記念礼拝堂が建てられた。作者を称えて顔をステンドグラスにして描くことになったが、グルーバーの肖像画はあってもモールのものはない。墓からモールの頭蓋骨を掘り出して生前の顔を復元した。

記念礼拝堂では毎年のクリスマスイブの夕刻、信者が「きよしこの夜」を歌う。モールの魂は、この歌とともに永遠に生きる。


きよしこの夜
作詞:ヨゼフ・モール
作曲:フランツ・クサーヴァー・グルーバー
訳詞:由木康

きよし この夜 星は光り
救いの御子(みこ)は 馬槽(まぶね)の中に
眠り給う いと安く

きよし この夜 御告(みつ)げ受けし
牧人たちは 御子(みこ)の御前(みまえ)に
ぬかずきぬ かしこみて

きよし この夜 みこの 笑みに
恵みの御代(みよ)の 朝(あした)の光
輝けり ほがらかに

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